過酷な印刷会社

私は3年間勤務した印刷会社を先月退職しました。その理由は大きく4つの段階に分けられます。私が最初に辞めようと考えたのは、1年目の12月です。

印刷業は仕事の繁忙期と閑散期で差が激しく、特に12月は年末という事もあって1年の中で一番忙しい時期です。私の勤務1年目の12月は特に忙しいということもあって、大晦日の日まで3週間ほど休み無しで働かされました。3週間休み無しで毎日朝早くから夜遅くまで働き大変でしたが、それに見合った給料が出るのならと思い頑張りました。しかしそれだけ働いたにも関わらず、残業代などの手当ては一切無く、給料はいつもと変わりませんでした。元々給料が安く手取りで15万円ほどしかないため、この月は時給換算にすると、時給500円ほどでした。社会人になって身を粉にして働き、その見返りが時給500円という現実に、ただただこの時は打ちひしがれ、この仕事を続ける事の意義について考えるようになりました。

次に辞めようと考えたのは3年目の春ごろ、印刷機の中に誤まって手が入ってしまい、右の中指と人差し指が潰れるなど全治2か月の重傷を負った時です。印刷の仕事はとても繊細で、かつ機械を触るため指の怪我は仕事の存続に大きく関わる事でした。指の怪我で仕事が難しく、また大怪我をした機械でまたもう一度仕事をするのも精神的に辛いものがあったので仕事を辞めようと思ったのですが、会社の上の方々が労災などその後の事についてもとても丁寧に対応してくださったり何度も家までお見舞いに来て下さるなどしたので、その気持ちに応えたいと思い、この時は仕事を辞めるには至りませんでした。幸いにも指の怪我はキレイに治り、仕事に差し支えることも無かったため仕事を続けるのは苦ではありませんでした。

その次は、3年目の11月ごろです。この時先輩が仕事中激しく咳こみ、あまりにも異常だったため早退して病院で検査したところ重度の肺炎だという事がわかりました。通常ならば即入院してしかるべき治療を受けなければいけないのですが、この時仕事が忙しかったため、その先輩は仕事を休む事が出来ず毎日朝と夜の2回点滴通院をし、仕事を続けていました。酷い時は夜点滴のため一旦病院に行った後また会社に戻って仕事をするという事もしていました。その姿を見た私は、重度の肺炎になっても仕事を休む事が出来ないのかと、会社の経営の在り方に疑問を持ちました。私自身持病で喘息があり、子供のころ肺炎で入院したことがあったため、もし自分が肺炎にかかっても仕事を休む事が出来ないのかと考えると、将来が不安で仕方がありませんでした。

仕事を辞める決め手となった出来事が、その翌年の1月に起きました。現在の社長が高齢のため今年限りで引退し社長の座を息子に譲るという話になったため、新年のあいさつでその息子が会社に来たのです。私はその息子さんの姿を見るのが初めてで、私の他にも初めて見るという方はちらほら見受けられました。そんな普段会社に全く顔を見せず、かつ印刷についての知識も全く無い人を次期社長にするのは不安の面が強かったですが、その新社長のあいさつを聞いてこの社長には絶対についていけないと確信に至りました。その新年のあいさつの中で自己紹介も踏まえ印刷についての話もあり、そこで印刷の機械についての話での時「よくお前らこんな危ない機械触れるな。俺には絶対無理や。」と笑いながら言ったのです。私たち社員の事をお前ら呼ばわりした事も上に立つ人間としては最低な事ですが、それ以上に、印刷会社の大黒柱であり商売道具であり私たちが普段誇りを持って扱っている印刷機を「こんなもの」呼ばわりした事が私には許せませんでした。給料も安く待遇も悪く職場環境も良くない中で頑張ってきた事を全て否定されたような気持になり、そのような人の下では働けないと思い、退職を決意しました。

私は大型印刷機の次期メインオペレーターとして期待されていて、また会社自体小さく社員数も少なく一人辞めるだけでも仕事が回らなくなるということがあるため、退職する旨を会社に伝えた時は上司や社長などから猛烈に引き止めを受けましたが、長い時間をかけて話し合い私が退職するという考えに至った経緯を伝え、円満退社とする事が出来ました。

現在は転職についてはあまり考えておらず、将来が不透明な状態ですが、あのまま会社に残って不満のあるまま仕事を仕事を続けるよりははるかに良かったと思っています。この3年間の経験を、次の職場でも活かしていきたいと思います。