退職の決意をしないまま、職場を去さった

初めて転職を考えたのは、26歳の時でした。当時の地方公務員の受験資格が「26歳まで」だったからだと思います。自分が勤めていた会社は給与面は申し分なかったのですが、忙しすぎて「自分の時間」がまったく取れず、「何のために働いているのかわからない」虚しさに襲われていたからです。

「いま死んだら、私はこのお金を何のために稼いでいるのかわからない。お金を使って楽しみを享受する余裕もない。まったく無駄なことをしているのではないか」という考えに取り憑かれていました。いま思うと、この頃から少し思い詰めていたのかもしれません。

27歳になって心身に不調をきたし、ドクターストップが出て休職することに。医師からは「すぐにでも会社と仕事を遮断して休め」と言われていたのですが、チームで仕事をしていましたので、当面の仕事については引き継ぎメモを残し、その段階で出来るだけのことは休日出勤までして片を付けました。休職直後は同僚からの問い合わせ電話での仕事の処理も発生しました(正直なところ、これでは休職の意味がないため、ここにもドクターストップがかかりました)。

この「休職」、その会社ではよくあることで、同僚にも休職経験者がたくさんいたので、「自分も同僚たちと同じ道をたどっているんだな。休んだら元気になれて、そうしたら同僚たちと同じように復帰するんだな」くらいに思っていました。半年に一度は会社の産業医による診察があり、主治医の診断書を持って面談に向かいました。

休職の期限は2年。2年以上は休めないので、復帰するか退職するかしか選択肢はありません。私自身は「休職直後の状態よりは随分良くなったので、当然復帰」と考えていました。しかし客観的に見たら、私の回復具合は芳しくなかったようです。休職してちょうど2年が経った産業医との面接日。診断書を持って会社に赴きました。診断書は「週に1回のカウンセリング通院が必要だが、復帰可能」といった内容だったはずです。主治医の先生がそうおっしゃっていたように思います。しかし、この「週1回の通院」が、会社には通りませんでした。

本来ですと「病気を理由とした退職」はさせられないはずです。私は「週1回休む」とは言っていません。「しばらくは週1回だけ夜9時まで働かず、定刻まで仕事をした後でカウンセリングを受けに行きたい。その他の日はフルタイム&残業もキチンとする」と会社に告げていました。意志としては「復職前提、ただ心身の健康を補強する意味での週1のカウンセリングだけは継続させてほしい」と。ここで「フルタイム働けます!」と言っておいて、何らかの部署に配置後、しれっと週1回早めに退社(早退ではありません、当たり前になっている残業を早めに切り上げる、という意味です)するという方法をとれば賢かったのかもしれません。しかしバカ正直な性格が災いし、自分の手の内を会社に全部わかってもらったうえで、相応しい部署に配置してほしい、という思いがありました。いま思うと、会社の激務に耐えられるだけの自信がなかった表れでしかありませんが。 この「週1回」を告げてからの会社の態度の変容は忘れられません。まず産業医が険しい顔をしました。「完治していない」「この会社の激務に耐えられるレベルに回復していない」と捉えられたのかもしれません。その場では復職の判定ができないから、と一旦帰るよう言われました。確か何度か会社との交渉に出向いたと思います。元上司にも相談に行きました。この上司には大変お世話になっていたため、面談のたびごとにご相談をしていたのですが、その上司まで手のひらを返すように冷たくなりました。うまく行かない交渉に疲れ、最後の日には微熱が出ていたことを覚えています。

最後の面談の日(私はその日が最後になるとは思っていなかったのですが)、人事部相当の部署の人に「検討をしましたがあなたに合う部署はありません(退職してください)」と言われました。私は「はい」とは決して言わなかったのですが、淡々と退職手続きの書類が出され、記入を促されました。その会社では「週1回の通院」=戦力外だった、ということです。裏の事情を言うと、その頃「1回休職後、再び体調を崩して2回目の休職に入る」社員があとを絶たず、会社はその可能性を恐れたのだと思います。私の通っていたクリニックの主治医は私以外の同社社員を何人も診察したと言っており、「健康のことを考えると働かせ方がひどい」と憤慨しておられました。

このように「病気を理由にして」「『自己都合退職』ということにさせられ」、流れで退職しました。退職の決意は、していませんでした。退職して良かったと思えたのは、のちにその会社がブラック企業と呼ばれるようになったときです。そのとき初めて、私の中では退職問題に区切りがついたように思います。

決意しないままに職を失ったので、その後のショックは大きいものでした。再び体調を崩してしまい、数年長引きました。体調が持ち直してから、いくつかパート職の面談にも行きましたが、この状態では恐らく「組織に勤める」のは難しいだろうと自分で判断。たまたま新聞求人広告に掲載されていた在宅自由業に応募し、採用されて現在に至ります。皮肉なことに、自由業となってからも内情を知っているため「やめた会社の下請け」業務が多く、下請けとして重宝されました。「週1回」の通院を希望するなら退職してフリーになれ、ということだったのか、と苦笑します。仕事のクライアントよりもその業務に関わった時間が長かったりするので、下請けでありながら業務引き継ぎをしているようなもの。仕事の仕方が歯痒い時には指摘もしました。さぞうるさい下請けスタッフだったろうと思います。

このように、退職後は「就職活動」をしていません。会社で身につけた技術を生かして、フリーでほそぼそと生きています。